Le sommeil, sourire_Ⅱ

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 まだ、ハイブライトの長男によるスピーチもなく、用意された食事を少しずつ、真っ白な皿に盛っていく。
 レディシア・キースは慣れないスーツを着て、汚さないよう神経を張り巡らせていたため、なかなか楽しめないでいた。
 開始当初はシャールと一緒にいたのだが、彼は外に出てくると言って離れた。
 両親の到着はいつも遅く、リデル・オージリアス・マクレーンたちも何処かへ行ったきりだ。
「さみしいなあ……」
 心の声を思わず出してしまうレディシアの元へ、シャールは「ごめん」と、笑顔で戻って来た。
 途端に晴れやかな気持ちになるレディシアだが、彼の体調が心配になる。
 慣れないことがたくさんあって疲れているだろうと考えたのだ。
「あ、遅かったね。シャール、もう大丈夫なの?」
 パーティー会場に戻って来たシャールを心配するレディシアに彼は「大丈夫」と答えた。
「そう、それならいいんだけど。でも、シャール」
「あらー、レディシア!」
 シャールに話しかけようとしたところへ、彼の名前を呼ぶのはヘレン・キースだ。シャールはレディシアの母親でもある彼女を少し苦手にしていた。
「シャール君とも一緒だったのかしら?」
「あ、うん。お母さん、遅いよ」
 レディシアは拗ねたように口を尖らせるが、ヘレンは豪快に笑って「明日ご飯にいきましょ」と言うだけだった。
「やれやれ、ヘレンにはいつも待たされるよ。それよりシャール君、ハイブライトには慣れたかい? イザベラ様のことなら心配しなくていい。ハロルドさんに依頼してある」
「あ、ありがとうございます」
「気にしたらいけない。ブルネーゼ君たちもシャール君のためならと協力してくれてるから」
 ジェイソン・キースは穏やかな笑顔でシャールがいなくなった後のことを報告し、彼を安心させた。
 イザベラ・レイモンドもハイブライトに行くシャールを内心かなり不安に思っていたに違いない。
「あ、レディシア君を付き合わせてしまってすみません……私、もう一度外に出てきます」
 突然、彼は目眩を覚えた。三人が並んでから急に起こったのだ。
「だ、大丈夫?」
 付き添おうとするレディシアにシャールは引き吊った笑みで大丈夫だと頷いて再び会場から離れた。

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 扉をそっと引いて外に飛び出した彼は近くの壁に凭れるようにしてしゃがみこんだ。
 彼から生気さえ奪おうとしている目眩がそうさせているのだが、この正体は判明していた。
 嫉妬、恨み、怒り、悲しみ、絶望。
 壁越しに耳を寄せると「ようこそ、皆様」と、爽やかな声が聞こえる。
 セイシェル・ハイブライトの声だと、シャールは直ぐ様認識した。
 シリウスとソフィアの恋物語に付き合わされた哀れな父。ハイブライトに責められたに違いない。直接的ではないにしても。
 此処に来た瞬間、皆が口を揃えて言うのはハイブライトを裏切った男女と促した人間たちのこと。
(そんなに他人が大切なの?)
 沸き上がる怒り。でも、父はいない。
 皆は両親に囲まれて幸せそうなのに、自分はレディシアがいなければ独りだ。
 レディシアに寄りかかっていた部分もあるが、彼は両親が来た途端、嬉しそうな顔で甘えに行っていた。
 父がいれば、家族三人ずっと一緒だったのに。
 許せない、赦せない。
 間違いだと分かっていてもシャールは自分のそばにいてくれるレディシアに負の感情を向けてしまいそうだった。
(どうして? ねえどうして? 皆何で見せつけるの? 人の気も知らないで!)
 衝動を抑えるにはまだ幼すぎた。
 自身の前髪を掴むようにして顔を覆って静かに泣く。
 消えてしまえ、何もかも。
 非現実かつ無慈悲な願いを唱えてしまう。
「シャール……? シャール!」
 レディシアはずっとシャールが戻って来ないのを心配して駆け付けたのだが、彼が蹲って泣いているのが見えた。
「……シャール」
 しかし、何も言えない。
 自分が思い付く言葉でシャールを励ますことはできないとレディシアは歯噛みした。
 もっと言葉を知っていたなら、彼の悲しみを拭えるかもしれないのに。
「……ごめん」
 涙に濡れた声でシャールがレディシアに謝罪の言葉を漏らした。
「ごめん、ごめん、レディシア」
 ただただ懺悔するだけ。
「シャール……どうしたの?」
 レディシアは恐る恐るシャールの前に移動し、両手を背中に回した。
 短すぎて届かない。それでも彼は必死に両手を伸ばした。
「シャール、シャール、泣かないで」
 肩を震わせて泣くシャールに必死に伝える。
「僕、ずっとそばにいる。そばにいるよ」
 何があっても、絶対に。
 自分だけは彼のそばにいると、レディシアは堅く決意する。
 どんなことがあっても、そばにいて、彼の悲しみを受け止めたいとレディシアはずっと思っていた。
「ごめん、ごめんね、レディシア。そばにいてくれる? ひとりにしないで、お願い」
「うん、そばにいるよ」
 直ぐに妬んでしまってどうしようもない。
 レディシアに寄りかかるのは駄目だと、彼の兄でいなければならないのにと戒めるが、もうどうにもならなかった。
 シャールはレディシアの胸に顔を寄せ、彼にすがるようにして泣いていた。

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