Nous ne pouvons rien faire_Ⅰ

 金と白と赤で飾られた空間を正面から見つめる一人の男――アーサー・トールスは夕日と同じ色の髪を整え、あることをアルディに持ちかけた。
「アルディ様、お話したいことがございます、よろしいでしょうか?」
「君は、アーサー? 警備隊の総指揮を執っているらしいね。何だろう、言ってみてほしい」
「覚えて下さったとは光栄です。もうご存じだと思いますが最近物騒なことが次々起きているのです」
「知っているよ、僕の部下が、しかも男に限ってね。次々と殺されるか傷を負っているか、ずっと気になる事件でね」
「そうです。それだけではありません。何やらハイブライトに反旗を翻す動きもあるのだとか」
「へえ、そうなんだ。色々なことが起こりだしているね。退屈しないからいいんだけどちょっと騒がしいかな? 近々イリアを迎えに入れるわけだから」
「では、私が収めてみせましょう」
「うん、期待しているよ、アーサー君」
 心から楽しそうに笑うアルディと、恭しく頭を下げるアーサー。
 どちらも凶器と優越が全面に出ていた。
 それと同時に、今漸く手に入れた絶対的で安定した居場所を失いたくないと言う切実な思いも併せ持っていたわけだが。
 苦労して手に入れた地位をやすやすと手放さなければならないなんて絶対に避けたい、壊されることなんて言語道断だ。
「アイシア、セイシェルとイリアの監視、お願いね」
「……御意」
 ずっと、傍らにいるアイシアの顔が悲痛に塗れていたことなど、この二人は気にも留めないだろう。

****

 あれからやり取りは進められ、セイシェルの出迎えを命じられたアイシアは執務室に戻ってくる。
「もう、覚えていないと思う」
 机の隣にいつも置いてある黒い本をじっと見つめて、アイシアは昔に思いを馳せる。
 幼い頃、自分はこんな華やかさからは縁遠い自然と土にまみれた日常の中でラサーニャと過ごしていた。
 父もいたような気がするが、もう欠けていて組み立てることは不可能だった。
 兎にも角にもラサーニャとともにハイブライトの王間へ通され、極度の緊張に胃が焼けそうになった感覚だけは鮮明にある。
 彼――セイシェルと会ったのはそんな時だった。
「……アイシア君」
 今と相も変わらず無愛想な声で名前を呼ぶセイシェルにアイシアはたどたどしく「はじめまして……」と言えた。
 彼なりの精いっぱいの配慮だったのか傍から見れば引き攣ったようにしか見えない表情も、きっと安心させるように笑っていてくれたのだと思う。
 不器用で無愛想で。
(この人が俺の兄になる)
 セイシェルの弟なら、喜んでなってもいい。
 それでも後から来た自分に対してどう接すればいいのか分からないぎこちなさは暫く続き、もどかしさで一杯一杯になりそうになった頃。
 そっと扉を開けて突っ立ったまま頭を掻くセイシェルにアイシアは動揺しながら「セイシェル、さま、」と呼んだ。
「……アイ、シャ……だったよ、な……」
 意識したまま、呼んでいるとセイシェルが照れくさそうに横を向いて、途切れ途切れの言葉を発する。
「父上がいない、から、あれ、だ……あれ」
「……?」
 この距離をどうにかして縮めたい。
 悩んでいたことは少なからず一致するようでアイシアは勇気を出した。
「兄上」
 もう、彼は兄なのだ。
 精一杯の気持ちを込めて呼ぶと彼も一歩遅れて「アイシャ……」と呼び返した。
「暇だから、来た」
「そうなの、ですか」
 ――ずっとわすれない。
 あれが、兄弟として刻んだ僅かな思い出で、ハイブライトを異常なまでに守ろうとするアルディの方針に従うしかなく、年が離れたことも災いして距離は遠くなる一方だった。
 更にアイシアを追い詰めたのは、外でもないノアシェランの存在。
 血の繋がりのない自分より、半分でも血を分けた弟の方が彼にはいとしく思えるのだろうか。
 自分は偽物にすらなれない。
「兄上、あなたは何も分かっていない」
 なぜ、自分がハイブライトの駒として忠実に生きているのか、彼はきっと知らない。
(兄上が喜んでくれるなら!)
 今でも変わらないのに。
(自分が、自分が、自分が!)
 まさかこうなるなんて思いたくもない。
(兄上を追い詰める存在になるなんて!)
 悔しかった。
 何も出来ないことが。
 臆病な自分が。
 ――どうあがいても無駄な現実が。

****

「カイン」
「何でしょう?」
 朝一番、一緒に帰らなければならないのにぎこちない会話が延々と続く。
 勢い余って取り返しのつかないことをしてしまったと慌てることになったがそれでもどこか満たされるのは何故だろう。
「えっと、ごめん、ね?」
「いえ、お、俺も、すみません」
 想像していたものよりもずっと生々しくて、ロマンの欠片もない、本当に獣に成り下がったような気がした、昨夜。
 お互いにぎこちなく謝罪して、おずおずと肩に身を寄せてハイブライトに戻る。
「何でしょうね」
「うん、何なんだろうね」
 幼さを知った気がしたけれど。
「これが恋人、なんでしょうか」
「さあ、よく分からないわ」
 強い気持ちはそこにあるけれど、恋と呼ぶにはあまりにもお粗末な感情に思えてならない。
「押しつけて、ごめんね」
 本当はただただ抱きしめたくて、近くに居たくて、触りたくて。
 これこそが恋なのかもしれない。
 恐怖心が中心にあったまま、二人は奇妙なまでに通じ合っている感情に身を任せ、休日を終えていく。
「これを幸せって言うんでしょうか?」
「多分そうよ、カイン」
 実はずっと心の中にあって、自覚していなかっただけなのかもしれない。
 切っ掛けは残念なことに一時的な快楽に身を任せてしまったけれど。
 ――でも、愛していたよ。

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