Nous ne pouvons rien faire_Ⅱ

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 もうすぐ、休日も、終わる。
 警備隊の拠点ともいえるアエタイトはいつでも耳障りで鬱陶しい。
 馴染みのある店も全て全て憎い、侮蔑の言葉を浴びせたくなる。
「エレザはどこにいる」
 それでも一番の戦友であるエレザを探すために、リデル・オージリアス・マクレーンはやってきたのだ、彼女はどこにいるのだろう。
 人の集まる場所には見向きもせずに歩くと雰囲気はガラリと変化し、華やかな服はどこへいったのか、土と瓦礫粉に塗れ、隠れるように生活する人々。
「おい」
 一人の男が、いつからかは知らないが後ろからリデルの腕を掴み、気味の悪い笑みを浮かべている。
「持ってるだろ、若造」
「何を」
 突然腕を掴まれた挙げ句、馴れ馴れしくすり寄って来て要求されるのは気分が悪い。
 だが、敢えてリデルは男の瞳を真っ直ぐと見た。
 黒く塗り潰され、曇天を模した濁った瞳と、一文字に締めた唇と、自分の腕を掴む手がどこか弱弱しく震えている。
(この男には何が見えているだろう)
 ただ、分かるのは、今日か明日か少しだけ先か、決して遠くない日に訪れる死に対する怒りと恐怖と絶望が交じり合わさっていることだけだった。
 ふと、自分のことが気になってしまう。
 誰が見ても恐らく大筋は同じ印象を持つ男から、どう映っているのだろうか?
 心の中にある問に答えるかのように男はニヤリとまた笑う。
「若造、いい目をしているじゃないか」
 何かを見透かしたように。
「近々大きな事をやらかすだろ?」
 怪しく問いかけて。
 平静を装うようにリデルは切り捨てた。
「俺をどうしたらそんな風に見えるんだ」
 逆に問い返し、早々と立ち去った。
 答えなんて言わせてやらない。
 エレザの行方を求め歩くリデルの顔には先ほどの男と同じように冷たく妖しい笑みがあったことを彼は知らないのだろうか。
 リデルの身なりは見捨てられた場所ではよく目立つのか、好奇の視線を向けられるが彼に声をかける者はいない。
 全身から放つ異様な空気が寄せ付けないからだろうか、元より返してやる言葉もないわけなのだが。
 広い大都市には裏表が存在し、中枢である下流地区の道を淡々と歩けば、不似合いな紫が遠目から見えた。
「エレ、……!」
 呼びかけようとしたところでリデルは硬直した。
(――どうして?)
 汚れるのは自分だけでいいのに、彼も此処に来ている。
 終始無表情だったリデルの顔が初めて歪んだ。
「……リデル、さん?」
 心配そうに名前を呼ぶ声にゆっくりと振り返ると、自分と同じように見下されて生きてきた水色の少女――ルキリスと出会う。
 元はアクロイドが保護した捨て子。
 親はいない、どこの生まれかもわからない。
「ルキリス」
「俺を忘れないでくれよ、リデル」
 少し後ろから二人を見守っていた少年――ルディアス。
 濁ってしまった赤が元気に跳ねていて、まだまだあどけなさを残す顔。
「あの人の着てる服、綺麗だよな」
「……ああ」
 恐らくはセイシェルのことだろう。
 目立たぬ存在だと誰が言おうとも。
「綺麗な人だ」
 愛を忘れない人だ。
 憎しみしかなかった自分でさえ照らすような。
 ぼんやりと遠くを見ていると、リデルのことに気づいたセイシェルが手招きをする。
「行くぞ」
「うん」
 二人を連れて、リデルはセイシェルの元に向かった。

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「アクロイドもなかなかやるな」
 家なき子も多く集う下流地区に衣食住を提供していたアクロイド。
 その代わり、彼らにある条件を突きつけたわけだが。
「ある意味、危険な方です」
「だが、僅かな可能性にかけているのは我々も同じだろう」
「ええ」
 だが、誰かにこの動きを気付かれたかもしれない。
 アクロイドが命を絶ったのはそのせいだろう。
「しかし、その後を継いだのが私だとは誰も思うまい」
 エレザから受け取った牢屋の鍵を仕舞い込み、二人に指示を出す。
「調べてほしいことがある」
「……ハロルドでも、呼びましょうか?」
「相変わらず察しがいいな」
 有能な医者でもあるハロルドなら知識もある。
 ――イリアを、きっと守れる。
「貴方も、もしかして?」
「何を馬鹿な」
 ははっと快活に笑って、胸を張って答えた。
「大切な『妹弟』だ」
「……そうですか」
(あなたの口からそんなお言葉が出るなんて)
 何が彼を変えたと言うのだろう。
 今まで見た中で、恐らく一番輝いている。
「セイシェル様が言うだろうと思いまして、もうお呼びしております」
「ほう」
 崩れかけの建物の中に入ると精悍な男性が――ハロルドが微笑んでいる。
「ハロルド殿」
「お久し振りです、セイシェル様」
 優しげな眼差しの中に固い決意が見え隠れしている。
「いいのか」
 彼の問いにハロルドは迷いなく頷いた。
「もうお伝えしています」
 どこか切なく笑うハロルドにセイシェルは背を向け、歩きだした――白亜の城へと。

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 その頃、アエタイトに到着したジェイソン・キース達は久々の騒がしさに懐かしい昔を思い出していた。
「レディシア、離れないようにね」
「うん!」
 故郷に帰って来れたレディシアは嬉しそうに頷き、ジェイソンの手をしっかりと握る。
 静かに朝が始まるハイブライトとは違い、汗と怒号と吐息が幾重にも積み上げられ、生活していることを感じさせられる。
 確かな温もりは非常に頼れる存在にもなって、二人は騒がしい日常の中を逆流して歩いた。
 商いの声にも耳を貸さず、誘惑の単語を並べた知らせにも目を向けず、唯一の道を歩く。
 できれば、手放したくなかった。
 しかし、このような場所で失いたくもなかった。
 どちらも、親として当たり前にある愛情だった。
 少なくともジェイソンは二つの思いを大きな比率で持っていたが、此処に居てはどちらも実現できない。
(この道がきっと)
 限りなく百に近い形で。
 時間よ進むなと何度願っただろう。
 夢の中に閉じ込めてしまいたいと何度思っただろう。
 幸せな空間に居てほしいから。
 それでも歩いているうちは止まらず、時間も止まらない。
 ジェイソンの思いはどれも叶わぬ夢物語だ。
 程無くして、ジェイソンの家に着いた彼はレディシアに伝える。
「さあ、ついたよ」
 達成感と損失館の相反する感情を芽吹かせて扉を開くと予想通りの人物が出迎えてくれる。
「ジェイソン様、待っていましたよ。僕のことはもう?」
「ええ、お伺いしています――アレン様」
 喜びだけではない複雑な笑顔。
 だが、ハイブライトよりも信じられる存在であったことは確か。
「私はおかしいでしょうか?」
 故郷とも言える場所を顧みず、信じることも出来ない自分は。
「いいや――貴方も『人』でしょう」
 アレンに言える最大の手向けであった。
 選択を迫られる激しい痛みをどう受け止められればいいのか、まだよく分からないのだが。
「よろしくお願いします」
 どうなるかは分からないのに、不思議なことにアレンに託したいと思うのはどうしてだろう。
「レディシア」
「うん」
 短い間だったが、命がけの日々であった。
 喜びと、悲しみと――愛情を授けてくれた子へ。
「アレン様の言うこと、ちゃんと聞けるね?」
「うん!」
 レディシアが大きく頷くのを見たジェイソンは笑みを浮かべ、頭を撫でる。
 子供の体温はどうしてこうも温かいのだろう。紛れもなく幸せで。
「レディシア……またね」
 ゆっくりと手を放し、外に向かって歩き出す。
「――父上!」
 レディシアが呼んでも、ジェイソンが戻ってくることはないだろう――二度と。

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